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「農家」が、「科学者」あるいは「経営者」になることの難しさと大切さ

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一般的に、農業は技術職であるが、科学的な考え方を必要とされることも多い。
経営者としての農家になるには尚更だ。
技術と科学の相違点から、今の時代に必要な農家の生き方を模索してみたい。
(参考文献 虚数の情緒 吉田武)

技術者 vs 科学者(あるいは経営者)

技術者は農耕民族的

技術者とは、何者かというと「専門」を持っていることに尽きる。専門を持たなければ技術者とは呼べない。生涯同じ作業をやり続け、「職人」「名人」となる。技術者とは、その土地に執着し、開墾を重ね、肥えた土壌を作る。
そういう意味で、技術者は農耕民族的である。

科学者は狩猟民族的

次に科学者は、専門性がないわけでは決してないが、歴史的な科学者の極めて多くが複数の分野で大なり小なり業績を挙げている。決して特定の分野に拘泥しない。異業種間での挑戦を平然と行う。前述の農耕民族とは異なり、狩猟民族的である。その際に用いる唯一の武器こそがたゆまぬ訓練で身に付けた「科学的な考え方」である。

相反する技術者と科学者

技術者は求道者で、科学者は自己破壊者である。
技術者は持久力が求められ、科学者は瞬発力が要求される。

両者の性格は全くの正反対である。
よって、これらを混同することは、自身の適性や事業形態の適性を見誤る可能性がある。
両者に善悪や優劣の関係はなく、相補的な存在である。

技術者の苦悩

技術者は「良い技術さえ持てば、いずれ世間が認めてくれる」と考えがちである。
一方で科学者は、「時を惜しんで大きく発言しなければ存在しないに等しい」とされる。

また、技術者は技術の対象と闘うのに対して、科学者は時に対象を離れ、人間同士の闘いにも参戦する。
なぜなら科学の土俵では発見よりも発表の方が大切だからである。
科学者には群を抜いた知性と、強靭な精神力、戦いに勝ち抜く体力と行動力が必要である。

「腕は確かで売上を伸ばしたいと考えている何の情報発信力もない農家が、販促に長けているecサイトに勝てない」という現象などは、このような違いに似ている。

技術者の生きる道

今の時代は圧倒的に科学的な考えを身に付けたものが有利な時代である。ネット空間で我先にと声を大に発信し、大衆に届けることが有利な世界である。故にネット空間では、強力なライバルが出現すると一気に淘汰が進む。

一方、技術者には利点が無いわけでは決してない。技術者は、ライバルの出現によって自らが鍛え上げた腕前が水泡に帰すという悲劇は存在しない。多少希少価値が減ったとしても、技術そのものは残り、輝き続ける。

両方に秀でるためには

理想は技術も持ち合わせ、科学的な思考ができる持久力も瞬発力も両方兼ね備えた人間になることだろう。

そのための必要最低限の資質は何か。

農家としては仲間を大切にし横の広がりを展開しつつ、
経営者としては群れることなく、孤独な道を邁進する 能力だと考えている。

畑で働く仲間を大切にできるかどうか。

逆に農業経営者セミナー等に参加して無理に仲間を作る必要はない。
その場においてはロンリーウルフで良いと思う。
無理に一匹狼にならなくても良いが、その状況で耐え得るかどうかが大切である。

技術は輝き続ける

両方の重要性を認識した上で、農業に携わる個人としてはやはり技術を磨き続けることに価値を見出してしまう。
(もちろん科学的な思考力は常に持ち合わせていたい)

SNSで知名度を高めても、技術がついてこなければ「写真だけ綺麗なマヤカシのホームページ」と化してしまう。
また、売上が伸びたからといって現場を離れ、所謂社長業に邁進することにも今現在は多少の違和感を覚えてしまう。

ネット環境下においてはどうしても狩猟民族的にならざるを得ないが、一方で、最後まで現場から離れず、具体的な技術を持った人間になることがいずれ圧倒的な差別化に繋がる。順序を間違えてはいけないんだろうなとつくづく思う。

技術と科学のさらに先にあるもの

最後は人間性である、というありきたりのところに落とし込むのは今回は避け、
「ロマンチシズム」としたい。

これは、技術でも科学でもない、極めて人間の情緒的な部分である。

ロマンを求めるロンリーウルフになろう。



ヤムチャ 「・・・それって俺のこと?」

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この記事を書いた人

「農にイイこと、脳にイイこと」

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